さりげない日常生活のありがたさ・・・
何故かよく分からないが、コロナの感染者が全国的に激減している。
緊急事態宣言が解除になった大阪でも、最近では一日の感染者が一桁の日があった。
いくらワクチン接種が進んだとはいえ、諸外国に比較しても極端な減少傾向で、ちょっと不思議な気がするが・・・。
まあ理由はともかく、コロナが少し落ち着いたことで、改めて感じるのは日常生活のありがたさだ。
もちろん、まだ完全に元の生活に戻ったわけではないが、時短制限も解除され、時間を気にせず、自由に外出して、食べたり飲み歩くことが出来るようになった。
ただでさえ、大阪は「食い道楽の街」だが、私の住んでいる中央区の谷町周辺も食の激戦区で、美味しいお店がたくさんある。
鳥刺しが美味しい近所の焼き鳥屋さん。お気に入りのお店のひとつ
失って初めて気づく、日常生活のありがたさは、私が以前から主張している「幸せな気分になるには、辛抱や我慢が大切」(9月12日付のブログ参照)という考え方に通じる部分がある。
コロナ禍は自分で意図した辛抱ではなく、強いられた辛抱だったが、普段はなかなか気づかない平凡な日常生活が、実は幸せだったんだと感じられるようになったのは、コロナのお陰だと思う。
もちろん飲食業を始め、コロナ禍が死活問題だった人からみれば、そんな悠長なことは言ってられないが・・・。
これからは、我々も外食の機会を少し増やし、自分達も楽しみながら、彼らを応援したい。
不自由な暮らしの後にある自由は、病気になって初めて健康のありがたさを感じるのとも似ている。
そしてひいては、日本に住んで日頃ほとんど意識しない平和のありがたさにも、繋がるのだと思います。