リタイヤ男のログハウス生活

リタイヤ後に海の近くのログハウスで第三の人生スタート

「便利」は「幸福」ではない・・・

この連休中に、最低一冊ぐらい本(小説)を読もうと、アマゾンで取り寄せたのは、浅田次郎の「母の待つ里」



以前新聞で、この本について本人のインタビュー記事が掲載されていて、その記事のタイトルが、今日の「ブログ」のタイトル「便利」は「幸福」ではない。


本の中身より先に、まずそのフレーズに惹かれたのは、私も感じるところがあったのだろう。


まんまとキャッチーなコピーの宣伝戦略に引っかかったようだが、まあそれはともかく、浅田次郎は好きな作家のひとりなので、期待を裏切らないと思ったのも事実。


本の内容を一言でいえば、還暦世代の都会暮らしのバックグランドも違う男女3人が、大金を払って里に住む母親と疑似親子体験をする話だけれど、なかなか興味深い。


疑似恋愛の話はよく聞くけど、疑似親子体験というのは初めてだろう。


いくつか心に刺さったフレーズがあったので、原文のまま羅列したい。


人生の幸不幸について考えた。過疎化した村の住人達を不幸だと思うのは、都会人の偏見ではあるまいか。幸福の基準は、けっして「便利」と「不便」ではない。少なくてもこうした本物の天然にくるまれて生きることの、不幸であるはずはなかった。


縁側から望むふるさとの夕景は美しい。(中略)自分は造りものの色と形の中で生きてきたのだと知った。目に入る色という色はすべて人工の着彩で、形という形もみな人間が設計した造形物なのに、何となく天然の風景のように錯誤して、時には美しいとすら思って暮らしてきた。


なるほど、私も白崎の「ログハウス」に暮らし始めて、本物の自然に触れる機会を得た。


季節毎、いや日々刻々と変化する山々、海や空。


澄み切った空気に小鳥のさえずり、そして訪れる静寂・・・。


時には自然の厳しさにも直面するので、もちろんいいことばかりではない。


しかし、この小説が本当にいいたいことは、単にふるさとの素晴らしさだけではなく、人間同士の濃厚な人間関係の大切さだ。


作者の浅田次郎は、離婚率が高く子供との断絶も多い都会生活における家族の脆弱性に焦点を当て、都会生活は便利だけど幸福な生活を営んだわけではない。ぼくらは便利を幸福だと錯誤してきた面があると訴える。


小説の登場人物は、都会では味わえなかった自然の素晴らしさに加え、忘れていた心地よい何かを感じ、本当の母親でもないのに、何度も「母の待つ里」に足を運ぶ。


初めは設定がちょっと突飛すぎて、なかなか感情移入出来なかったが、読み進めるうちに彼らの気持ちがある程度理解出来るようになった。


そこはさすがに作者のうまさと、私の年齢のせいもあるんだろう。


この歳になって、初めて湧き出てくる感情もあって、やっぱり人生は奥が深い。


白崎の「ログハウス」も、便利な生活とは対極にあるが、人が生きていく上で、不便や無駄も大切なことだと、最近少し思えるようになってきました。

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