リタイヤ男のログハウス生活

リタイヤ後に海の近くのログハウスで第三の人生スタート

最近、ふと思うこと・・・

相変わらずマレーシア帰国後は、大阪と白崎を往復する生活が続いている。


私は65歳で完全リタイヤしてからは、365日、自由な身なので、いつでもその時の気分で、行ったり来たり出来るのはありがたい。


繰り返しになるかもしれないが、大阪では美術館やコンサートが楽しめるし、美味しいお店もたくさんあって、文化的な生活が営める。


白崎の生活が、文化的でないというわけではないが、ここには何もないのは事実(笑)


ただただ海や山の自然に囲まれた生活だ。


しかし現在では、こんな生活の方が貴重だろし、この落差が気に入っている。


周囲に歩いて行けるレストランや飲み屋もないので、時々ネオンが恋しくなるが・・・。


ただコロナ以降は、ネオンどころか友人との飲み会も極端に減った。


一方白崎の「ログハウス」は、俗社会から隔離されていることもあり、大阪よりここで友人と飲む機会が増えたのは皮肉なもんだ。


確かに白崎まで、遊びに来てくれる友人が後を絶たないのはありがたい。


ここではほとんど自炊しているので、お互いコロナに感染していない限り、感染する確率も低い。


私が白崎の「ログハウス」に住むことを決めたのは、死ぬまでに一度ぐらいは、海の近くで「田舎暮らし」をしたかったからだ。


そして、ここに居を構えた最大の理由は、ウッドデッキからの景観に魅了されたことにある。


デッキからの景観で特に美しいのが、海に沈む間際の夕日


昔から海は大好きだったが、これまで海の近くに住んだことはなかった。


また私はこの歳になるまで、土をいじったことはないし、草刈りの経験もなく、幼い頃からここに来るまで、ずっと真逆の生活をしてきた。


他にもボートの操舵や本格的な海釣り等々、多くの新しい経験が出来た白崎の「ログハウス生活」には、とても満足している。


しかし、最近ふと思うことは・・・。


どんなに素晴らしい自然や環境も、それが日常となれば徐々に感動が薄れることは、既に以前の「ブログ」でも述べた。


また長期間、誰ともしゃべらず一人でいるのは、やはり限界がある。


それを補ってくれるのが友人の訪問だ。


憧れはあったが、私にはロビンソン・クルーソーのような生活は出来ないこともよく分かった。


元々、分かってはいたが・・・。


デッキから海に沈む夕日を眺めながら飲むビールも、一人より二人のほうが断然楽しい。


共感することで、気持ちが高まるし、少し薄れかけた感動を再び呼び戻すことも出来る。


やっぱり人との繋がりが大切だと、改めて感じる今日この頃です。

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