お盆休みの最後に思うこと・・・
昨年のお盆休みは、白崎の「ログハウス」で過ごしたが、今年は週末に台風の予報もあったので、大阪の自宅で過ごすことに・・・。
最近のテレビの話題といえば、相変わらず旧統一教会絡みが多い。
先週、岸田新内閣が発足したが、旧統一教会と新閣僚との深い関係が次々に明らかになって、まさにエンドレス状態・・・。
また旧統一教会の会長が再度会見を開き、改めて彼らの正当性を主張して、物議を醸し出している。
決して彼の主張が正しいとは思わないが、確かに宗教問題は難しい。
何が難しいかといえば、オレオレ詐欺のように騙してお金を奪うのではなく、本人が信じ、納得して高額の壷などを買うからだ。
それを「霊感商法」というのかもしれないが、その壷に神が宿っていると信じれば、適正価格なんかないに等しい。
また本人が満足すれば、当然それがその人の心の支えになることもあるだろう。
それを「洗脳」というかもしれないが、一方で「自己責任」という言葉もあり、クーリングオフは確か8日間のはず・・・。
もちろん買わないと、地獄に堕ちると脅かして売るほうが悪いが、買うほうに全く責任がないとは思わない。
私には想像出来ない深い悩みを抱えていて、冷静な判断が出来ないのかもしれないが、統一教会に限らず、宗教で不思議に思うことはたくさんある。
仏教にしてもキリスト教にしても、とどのつまり信者の寄進や献金で、世界中に立派なお寺や教会を建てているのは紛れもない事実だろう。
それが時の権力者から集めたお金であれば、まだ納得出来るが、そうとは限らない。
40年以上前、私は中米の貧しい村に住んでいたことがある。
ホントに貧しい村だったが、中央広場前にはその村に相応しくない立派な教会があった。
私のいた村の教会ではないが、ペルー・クスコの中央広場前の教会
キリスト教徒は、自分の収入の10分の1を寄付するという教えがあって、それは明日の暮らしも分からない貧しい農民も同じようだ。
そうすれば、天国に行けると信じる彼らは、どんなに生活が苦しくても、その教えを忠実に守っていた。
なので、統一教会は別格だろうが、宗教問題は私が理解出来ないことも多く、本当に線引きが難しい。
当時の私は、なんと理不尽で不公平だと思った記憶があるが、所詮人間は弱い生き物で、何かに頼らないと生きていけないのかもしれません。