リタイヤ男のログハウス生活

リタイヤ後に海の近くのログハウスで第三の人生スタート

ミャンマーの今・・・

私は長年勤めた会社を退職後、マレーシア人の友人とミャンマーで起業した。


だが、いろいろあって、65歳でパートナーの友人に全てを託し引退を決めたが、当時のスタッフとは今も「WhatsApp」で繋がっていて、時々連絡を取り合う仲だ。


この「ブログ」も、翻訳ソフトを使って読んでくれているようで、ありがたい。


ミャンマーでは昨年のクーデター以降、再び国軍が実権を握り、人権侵害や弾圧が続いているようだ。


日本政府は軍事政権に変わっても、国同士の良好な関係を、断ち切りたくないとの思いからか、どうも欧米に比較して、積極的な批判は控えているような気がする。


ただ最近、日本人ジャーナリストがデモを取材中、国軍に拘束されたことで再びニュースになっている。


事件の大小に関わらず、日本では海外で日本人に関連する事件があると報道するスタンスは昔から変わらない。


彼には気の毒だが、この事件をキッカケに、多くの日本人が今一度、ミャンマー情勢に注目して貰えればと思う。


今回はミャンマー人の彼女の了解も得て、SNSから得たミャンマー情勢の一端を伝えたい。


まず前段として、昨年の軍事クーデターの経緯に少し触れると・・・。


約半世紀もの国軍支配を経て、2011年にようやく民政移管された。


私がミャンマーでビジネスを始めたのは、その2年後の2013年からで、当時は「アジア最後のフロンティア」と呼ばれ、海外からの投資も盛んで、平和的な雰囲気の中、発展途上国特有の熱気や活気に溢れていた。


そして2015年の総選挙で、アウンサン・スーチー氏の率いるNLD(国民民主連合)が圧勝し、ミャンマーの民主化に拍車がかかり、2020年の総選挙でも再びNLDが圧勝した。


2015年は、私もミャンマーにいたので、スタッフ含め、国中のミャンマー人が大喜びしたのを、昨日のことのようにハッキリ憶えている。


ただ2015年以降も一定の権力を保持していた国軍が、2020年の選挙結果から、どうも自らの既得権益への危機感や不安が高じて、軍事クーデターを起こしたというのが一般的な見方だ。


そしてミャンマーが、再び軍事政権に逆戻りして、約1年半が経過した。


彼女曰く、人権侵害や弾圧は、日増しに酷くなっており、治安も悪化しているとのこと。


以下は、彼女が送ってくれた写真や情報から・・・。


まず私がいた当時(2014年前後)の為替は、1000円が1万チャットだった。


現在対ドルでは円安だが、ミャンマー通貨に対しては1000円が1万5000チャットで1.5倍の円高になっている。


そんな中、物価は高騰し続けて、生活は苦しくなる一方のようだ。


ガソリン価格は4倍以上値上がりし、600チャットが2600チャットになったとのことで、これは今の日本とほぼ同価格。


他の物価から考えれば、異常な値上がりだが、加えて大変なのはガソリンの入手が困難なことのようだ。


ガソリンスタンド前には、給油待ちのバイクが長蛇の列

そのせいで、今まで酷い渋滞に悩まされていたヤンゴン市内の道路は、この静けさだ


私の住んでいた当時は、連日酷い交通渋滞に悩まされていたので、このギャップには驚くばかりで、とても同じ国とは思えない光景だ。


どう考えても、これでは経済が回るはずがない。


一方、食用オイルも不足しているようで、お店の前は長蛇の列


またマンダレー市の近くの村では連日、多くの市民が国軍の犠牲になっているというが、こういう話は、なかなか海外まで伝わってこない。


殺戮や弾圧がますます酷くなっても、これは内政問題と言われると、国連や他国の干渉にも限界がある。


同じ殺戮でも、そこがウクライナとの1番大きな違いだろう。


また中国と一緒で、国内に検閲やインターネットにも監視の目があるので、SNS等でなかなか本音を発信出来ない問題もある。


今、多くのミャンマー人が海外、特にタイ、韓国や日本等に脱出を試みているようで、彼女もヤンゴンから地元の田舎へ引っ越すことや、海外へ拠点を移すことを本気で考えているようだ。


解決の糸口が見つからず、彼らが絶望的な気持ちになるのはよく分かるし、とても他人事とは思えない。


一方、日本に住む我々は一体何が出来るのだろうか・・・。


正直これと言う解決策は思いつかないが、悲惨なミャンマーの現状を、一人でも多くの人に知らせることも大切だと思うので、今回「ブログ」で取り上げました。

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