モノの値段と価値・・・
寒い時は、何かそれなりの理由がないと、私はなかなか家から外へ出られない。
今は白崎の「ログハウス」にいるが、先週末の土曜日は大阪、四天王寺の境内で開かれていた縁日へ行ってきた。
四天王寺の縁日へ行くのは二度目だが、一昨年の暮れに行った京都の東寺の弘法市に比べ、規模も中身も遜色ない。
東寺も四天王寺も毎月21日が縁日だが、共に骨董品が中心で、古い品物が所狭しと境内一杯に並んでいる。
私は今、どちらかと言えば断捨離中なので、モノは増やしたくないし、正直あまり欲しいモノもない。
しかし並んでいるモノのバリエーションが豊富というか、本当に何でもあるので見て回るだけで飽きないし楽しい。
茶器、壷や皿などの陶器類は、有田や伊万里?なんかもあり、中には掘り出し物があるかもしれないが、よほど目が肥えていないと分からないだろう。
また骨董品と言えば聞こえがイイが、壊れた時計やカメラ、昔のおもちゃ等々、半分以上はガラクタみたいなモンだが、それでも買う人が大勢いるから不思議だ。
普段、街で流通しているモノは、食品にしろ日用雑貨にしろ、相場や値ごろ感がある。
しかし骨董品やガラクタの値段は、全てあってないようなものなので、自分の価値観で安いか高いかを判断して購入することになる。
なのでモノの値段と価値を考えるには、イイ機会かもしれない。
要するに必要かどうかより、自分がどれだけその品を欲しいかだけだから、面白いと言えば面白い。
もちろん値引き交渉もあるが、ここにはモノの売買、即ち商売の原点がある気がする。
そこで思い出したことがある。
その昔、海外の貧しい国の小さな土産物店で、店主が売るのを諦める限界ギリギリまで値切って買ったことを、私は自慢していた。
今考えると、ちょっと可哀想なことをしたと思う。
もちろん原価はもっと安く、薄利はあったかもしれないが、私と彼らでは収入や生活レベルが全然違うわけだから、もう少し高く買ってあげても良かったなあと・・・。
当時は観光客だったから、バカにされないというか、ボラれないよう1円でも安く買うことしか頭になかったようだ。
四天王寺の骨董市で、適正な価格で買うことの大切さを再認識したと同時に「人は歳を取ると考え方も変わる」と思ったりもしました。