仏教で変化した価値観・・・
ようやく少し涼しくなったと思ったら、どうも不安定な天気の日が多い。
来週、白崎の「ログハウス」近くのゴルフ場で、友人達とゴルフをする予定なので、何とか雨降りだけは勘弁して欲しいと願っているが・・・。
当初、今日から白崎へ向かうつもりだったが、ドジャーズの地区シリーズ戦が、日本時間の明朝始まるようなので、それを観戦してから移動することにした。
繰り返すが「ログハウス」は、BSに加入してないので、大リーグ中継は観られない。
さて、最近の「ブログ」で、よく仏教関連の本を読んでいると書いたが、お陰様で今までの価値観が少し変わるような新しい気づきがあった。
私は今までの人生、かなりの部分で「自分の信念を曲げない、ブレないこと」を、最優先に生きてきた気がする。
もちろん長い人生の中で、変わった部分も多々あるが「ブレる」という言葉はズッと嫌いだったし、よくブレる人は苦手だった。
昔のヤクザじゃないけれど (笑) 「義理と人情」を大切にして、一本筋の通った信念を貫く生きかたが、良い人生だと思い込んでいた。
いわば典型的な「昭和人間」である。
もちろん会社で仕事をしていた時は、コロコロ方針を変える「朝令暮改」は良くないし、ブレない姿勢は大切だったと思う。
また政治家の主張が、立場が変わったからといって、ブレるのは良くないだろう。
しかし私の場合、仕事を辞めた今「ブレない人生に、どれだけの価値や意味があるのだろうか?」と考え始めた時、ふと「諸法無我」が頭に浮かんだ。
「諸法無我」では「あらゆる存在の中に我はない」
私の仏教講座の講師、佐々木閑氏の言葉を借りれば、釈迦は「自我を捨てよ」と言っているわけだから、我々が本能的に昔から正しいと信じてきた「一本化した私」というものはない。
むしろブレない自分を求めるところにこそ苦しみがあり、この点が非常に大事なことであると・・・。
よって紆余曲折して、グネグネの人生だってイイわけだ。
加えて人はつねに、自分にとって気持ちの良いものを形にしたがるし、何かにつけて単純化を望み、違うものが2つあると1つにまとめたほうが、より端正で良いものを手に入れたような気になる。
どうも思い当たる節があり、耳の痛い話である。
けれども、2つのものが別々にあって、両方ともがその人にとっての真理だとしても、全然構わないはずである (これも佐々木閑氏談)
全く仰る通りで、納得の説明である。
私はブレない自分を演じるために、苦労した記憶はあまりないが、過去に議論が白熱したり、衝突することはあったと思う。
もちろん議論自体を、楽しんでいたきらいもあるのだが・・・。
ということで残りの人生、この考えかたを実践出来るかどうかは分からないものの、自分の信条や生きかたが、チョット変化することも期待しています。
今まで興味の対象は「仏教の教え」が中心だったが、最近は宗派や歴史にも少し興味が湧いてきた