満開の桜の下で夢想・・・
今年も桜の季節になった。
毎年この時期になると、今年も健康で桜を見られることに感謝したい気持ちになる。
まあ間違いなく、歳を取った証拠だろう。
若い頃は、そもそも桜に興味がなかったし、そんなことは1mmも思わなかった。
私の自宅コンド前の公園の桜も満開だが、やはり大阪城公園の桜は見応えがある。
満開の桜並木の下を歩いていると、普段は考えもしないことが急に浮かんだりする。
桜はパッと咲いてパッと散るから、昔から日本では潔さの象徴とされてきたんだろう。
日本も卒業式や入学式を、世界標準の9月にする話には基本的に賛成だけれど、イメージ的にはやっぱり春、桜の咲く季節が似合う気がする。
「散る桜 残る桜も 散る桜」は、良寛の辞世の句とも言われているが、どうも私はこの句が心に沁みる年齢になったようだ。
シンプルな表現だが、仏教の教えにも繋がり、まさに人生そのもので言い得て妙だ。
そう、所詮人間は哀れで、はかないから、だから今を大切に生きるしかないのかもしれない。
また桜を見上げていたら、妙なことを考え始めた。
もし暦がなかったら、一年の経過をどう判断するかということだ。
もちろん月や太陽の位置で、月日は正確に確認出来る。
しかし、それには知識が必要だ。
また日本は四季があるので、暦がなくても季節の移り変わりや、春夏秋冬はある程度体感出来るだろう。
ただ正確な月日は分からないし、年末年始の境目も分からない。
雪が降って寒いので、多分今は1月か2月頃といった具合だろうか・・・。
ところが桜の木は知っている。
開花の時期はズレても一週間程度で、今年は少し早いようだが、大阪なら毎年3月末か4月初めが満開だ。
なので、もし家の庭に桜の木が一本あれば、暦がなくても一年がかなり正確に分かるなあ・・・と。
ひょっとしたら昔の農村では、本当に桜の開花を基準に、田植えの日を決めたりしていたのかもしれない。
満開の桜を見上げていたら、とりとめもないことが、次から次へ頭に浮かんできました。