リタイヤ男のログハウス生活

リタイヤ後に海の近くのログハウスで第三の人生スタート

なぜマレーシアから白崎へ?

私は自己紹介文にも書いたが、定年退職後もサラリーマン時代の駐在地であったマレーシアをベースに活動を続け、65歳で完全リタイヤ。


その後は70歳ぐらいまで、マレーシアを中心にゴルフでもしながら、のんびり過ごす
つもりだった。ところがコロナ禍で身動き出来ない状態に・・・


マレーシアの首都クアランプールの名物 ツインタワー


昨年3月、日本へ一時帰国後、すぐにマレーシアがロックダウン。


入国するには14日間の自宅隔離でない強制隔離に加え、渡航前のPCR検査も義務付けられたから、2ヶ月程度で戻るつもりが、結局今年になるまで、約10ヶ月間戻れなかった。


そこで海外に生活拠点のあるリスクを痛感、マレーシア撤退を決め、次にやること、やりたいことを探し始めた。


拠点を構える第一条件は、きれいな海と温暖な気候だったが、日本で年中温暖な気候を求めれば沖縄あたりまで行かないと無理だと分かり諦めた。


そして新たな条件は、大阪に日本での生活拠点があるので、飛行機に乗らず、そこから車でも電車でも無理なく往復出来る距離。となるとやはり和歌山方面か・・・。


当初の計画では、まずマレーシアを引上げてから本格的に探すつもりだったが、なかなかマレーシアへ戻れそうにないので、下調べの意味も含めて、昨年7月頃からネットでいろいろ探し始めた。


そして何カ所か下見を繰り返し、9月には白崎海洋公園を訪れ、その景観の素晴らしさと想像以上の海の透明度に驚いた。


白崎海洋公園の風景、海と石灰岩が独特の景観を醸し出している


その際、事前に予約していた白崎海岸沿いにあるログハウスの管理事務所を訪問。


景観重視の要望を伝え、数カ所中古のログハウスへ案内してもらった。


その一軒のウッドデッキからの眺望に、一瞬私は自分の目を疑った。


その風景がプロフィールのこの写真。マレーシアから白崎への移住を決めた瞬間


「ココに住みたい!」という思いが一気に膨らみ、ここに住んでやってみたいことが、次々と頭の中に浮かび、これは「運命が決めたタイミングだ!」と、契約を決めた。


「こんな気持ちになったのは何年振りだろう。いや何十年振りか・・・」


決め手になったウッドデッキ


最近「何歳までマレーシアで生活するか?」「人生最後はやはり日本かな・・・」と少し迷ったり、悩んだりしていたが、この風景を見て自分が人生の後半を何処で、どのような生活を送りたいか,はっきりした瞬間だった。


これが本日のタイトル「なぜマレーシアから白崎へ?」の答えであり、これからメインタイトルの「リタイヤ男のログハウス生活」に繋がっていきます。

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