青春時代のヒーロー逝く・・・
アントニオ猪木が亡くなった。
今の私のヒーローは大谷翔平だが、猪木は私の青春時代のヒーローだった。
10代後半から30代の前半まで、私は筋金入りのプロレスファンだったが、特に猪木のプロレスが好きだった。
ただいつもテレビで彼の試合が観られたわけではなかったので、試合の翌日に大スポ(大阪スポーツ)を買って、結果と同時に細かな試合経過を追うのも楽しみだった。
もちろんプロレス会場にも、何度か足を運んだことがある。
以前からプロレスは、八百長だとか、筋書きのあるドラマだと揶揄されてきた。
相手の得意技を敢えて避けずに正面から受け止めて、最後は自分の得意技で相手を仕留めることで、自らの強さを際立たせるという意味では、確かに筋書きのあるドラマかもしれない。
しかし本気で戦えば、プロレスは人類史上最強の格闘技であると私は信じていたし、猪木もそれを証明しようと異種格闘技戦にも積極的に取り組んで、数々の名勝負を歴史に残した。
私がプロレス好きになったのは、間違いなく親父の影響で、力道山の時代に遡る。
私の幼い頃は、我家にテレビがなかったので、近所の家に親子で力道山のプロレスを観に行った記憶が残っている。
まさに漫画「三丁目の夕日」の時代で、今から思えば娯楽が少なかった時代。
当時のプロレスは、数少ない楽しみの一つだった。
力道山が急逝した後、プロレス業界は数年間の混乱期を経て、馬場と猪木が新しいリーダーとして台頭してきた。
私はストロングスタイルを標榜する猪木派だったが、馬場派にも鶴田という正統派の好きなレスラーがいた。
その頃はプロレスの技の進歩も著しく、力道山時代の空手チョップや4の字固めから、コブラツイスト、卍固めやジャーマンスープレックスなど華麗な技の応酬で、我々観客を魅了してくれた。
プロレスは「男のロマン」だと思っている私に、プロレスを語らせたら止まらないので、これぐらいにしておこう。
30歳の頃に知り合って、仲良くなった日本に留学していた日系ブラジル人に、私が猪木のファンだと言ったら、後日自分はアントニオ猪木の親戚 (遠い親戚?) だと言って、猪木のサインの入った色紙をくれた。
猪木との関係を詳しく聞いた記憶はあるが、憶えていない。
それまで有名人のサインには全く縁がなかったし、興味もなかったが、猪木のサインには大喜びして猪木ファンの友人に自慢した。
今回猪木が亡くなって、突然サインことを思い出した。
そこでワイフに尋ねたら、すぐに納戸からサインを探し出し、私の目の前に・・・。
彼女も私のプロレス好きを知っているので、約40年間、捨てずにズッと保管してくれていたようだ。
40年もの長い間、後生大事に保管していたアントニオ猪木のサイン
海外に住むようになってからは、日本のプロレスに触れる機会もなくなり、その後は急速に興味を失ったが、やはり猪木には今でも特別の思いがある。
「燃える闘魂」アントニオ猪木・・・。
私の青春時代のヒーローが、79歳でこの世を去りました。合掌。