非寛容な社会と同調圧力について
今回は「ログハウス」とは全く関係のない話。
今はまだ隔離中なので、テレビを観る機会が増えたが、改めて感じたのは、テレビがつまらないこと。
どのチャンネルを回しても、同じようなスキャンダルや話題を延々と流し続けている。
具体例は差し控えるが、公の場で差別的な発言が許されないのは理解出来るが、内輪の会議で出た、それも一年以上前のひとつのアイデアを、今頃になって誰かが週刊誌にリーク。
その途端ここぞとばかり、みんなで徹底的に叩きまくるやり方に、ある種の不快感を感じるのは、果たして私だけだろうか。
テレビやマスコミで叩いている人を見て、自分も叩かないとマズイと思うような同調圧力や、匿名で好き勝手に投稿出来るSNSが、それに拍車をかけている気がする。
確かに差別発言を批判しているマスコミや彼らは正しい。正論かもしれない。
しかし「それがどうした?」何か前向きな議論に繋がっているかと言えば、否。
彼らは差別発言を探し出して、手を変え品を変え、連日繰り返し批判しているだけ。
「正しすぎることからは何も生まれない」という以下のレッド・ブル(エナジードリンク・メーカー)の広告コピー「くたばれ、正論。」は、なかなかのもんだ。
「常識を積み重ねても、所詮それは常識以外の何物でもないから。自分の感受性を守れ。自分の衝動を守れ。自分の中のバカを守れ。・・・大きく行こう。」とある。全く同感!
我々と同じ年代の人なら理解してもらえると思うが、いいか悪いか別にして、昔はもう少し大らかで、全ての面で寛容だった。
「大らか」いい言葉だ。「大らか」でありたい。
そういえば日本はいつ頃から、こんな非寛容な社会になったんだろうか・・・。