リタイヤ男のログハウス生活

リタイヤ後に海の近くのログハウスで第三の人生スタート

琳派、若冲、ときめきの・・・

週末が統一地方選挙日だったので、先週大阪へ戻り投票を済ませた後、白崎の「ログハウス」に戻ってきた。


私は海外に住んでいた約30年間、不在者投票制度があるのは知っていたが、一度も投票しなかったので、帰国後は出来るだけ投票へ行くようにしている。


そのついでに、というわけでもないが、難波の高島屋で開催されていた「琳派、若冲、ときめきの日本美術」をワイフと見に行った。



正直日本美術には、そんなに詳しくないので、「若冲って琳派だったっけ?」と思い、ネットで調べたら、やはり別モンで今回は「琳派と若冲」の展覧会だった。


全て京都、細見美術館から貸し出された作品で、琳派の代名詞、尾形光琳の作品も少しあったが、私が知らない近代の琳派画家の作品が多かったように思う。


一方、若冲の作品は結構たくさん展示されていた。


中でも有名な鶏の絵は過去にも何度か見ているが、今回初めて見た鶏の水墨画の屏風絵は、いろいろな角度で描かれた鶏の描写もさることながら、筆の勢いをそのまま生かしたタッチが素晴らしく、思わず見入ってしまった。


和洋問わず、カメラや写真のない時代の写実的な画家の絵を見て、いつも感じるのは描写力の正確さだ。


花木は静止しているので、時間をかければ、ある程度正確に描けるだろう。


しかし鳥獣はジッとしていないから、ずば抜けたデッサン力に加え、記憶力と想像力も駆使しないと、上手く描けないはずだ。


特に翼を広げて飛んでいる鳥などは、どうしてあんなに上手く描けるだろうと不思議に思うことさえある。


一方、現代画家の写実的な描写に関しては、素晴らしい作品であっても、現物を前にデッサンしているのか、写真から描き起こしているのか、私は結構気になる。


なぜなら正確なデッサン力は、画家の基本中の基本だと思うからだ。


これは抽象画家に対しても感じることで、若い頃のピカソの正確無比なクロッキーやデッサン画を目の当たりにして、彼の凄さを再認識するのに似ている。


ただ現代アートの世界では、デッサン力は必ずしも必須ではないだろうし、いつの時代でも独創性、オリジナリティが一番重要なのはいうまでもありませんが・・・。

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