「終の住処」とは・・・
昨日は小雨の降る中、大阪から白崎の「ログハウス」へ移動した。
関東地方は既に梅雨に入ったようだが、こっちもそろそろのようだ。
ウッドデッキから、たまに降る雨を眺めるのは悪くないが、毎日だとやっぱりウンザリする。
今回は1週間ほど大阪に滞在していたが、毎日和歌山の天気をチェックしていた。
晴れの日が続くと、水不足で野菜が枯れてしまわないか心配になるからだ。
なので毎回「ログハウス」の駐車場に車を止めると、そのまま真っ先に庭へ下りて野菜の様子を確認している。
幸い先週も雨が降ったようで、野菜は順調に成長していて一安心。
しかし、雑草も同様に順調?に成長しているので、今日は今から草刈りだ。
茄子は収穫出来るまでに成長した
ミニトマトは鈴なりだが、収穫にはもう少し時間がかかりそうだ
家庭菜園もそうだが、白崎の「ログハウス生活」で、暮らしが180度変わった。
大自然に囲まれ、特に海辺の暮らしは若い頃から、私が憧れていた生活でもある。
もちろん田舎なので不便なこともたくさんある。
しかしデッキから海に沈む夕陽を眺めるだけで、いつでも幸せな気分にさせてくれるし、その光景は今も全く色褪せない。
なので思わずここを「終の住処」として「ブログ」も始めたが、実は今、少し違う思いが胸中に去来している。
白崎の「ログハウス」は、本当に私の「終の住処」と成りうるのだろうか。
「終の住処」とは文字通り、人生の最後を過ごす場所のことだ。
しかし実際に生活してみると、身体の自由が利かなくなったら、自然のど真ん中では生活出来ないことがよく分かった。
まず白崎の「ログハウス」へは、車が運転出来ないと来れないし、買い物にも行けない。
車の運転は、自分の身体能力も見極めながら、免許返上の時期を考えたいと思っていたので、その時点でここでの生活は終了する。
ということは、ここは私の「終の住処」にはならない。
もちろん一日でも長く、ここで健康に暮らせるよう、今やれることをやるしかないが、先のことは誰にも分かない。
さて、どうしたものか・・・。