「唯識思想」に、どっぷり?・・・
梅雨も明けて、ようやく夏本番。
毎日暑い日が続いているが、湿気が減った分、まだ過ごしやすい。
今年4月から毎月一回、京都のNHKの文化センターで佐々木閑氏から「唯識思想」の講座を受けていることは、既に何度か「ブログ」で触れた。
その講座も残り2回となり、前回あたりから徐々に難しくなってきた。
佐々木氏が説明するロジックはもちろん、基本的な仏教用語の意味が分からないから、講義中に何度かGoogleで調べたりもするが、理解するのは簡単ではない。
今まで仏教の知識がなかったとはいえ、どうも落ちこぼれ寸前だ・・・。
私のメモ帳には、阿頼耶識、阿羅漢、世親、輪廻、涅槃・・・などの用語が、ひらがなで書きなぐられている。
ただ興味は深まったし、時間もたっぷりあるので、現在は白崎の「ログハウス」で、テキストを読み直し、分からない意味を調べ直している。
一方で最初の講義から、何となく納得出来る概念もある。
それは現在生きてる世界、即ち外界は存在せず、あるのは心だけという「唯識思想」の基本的な考え方だ。
一見突飛なようだが、私は意外としっくり受け入れられた。
外界は存在しないから、自分やモノへの執着を捨て、そこから生じる欲や苦から解放されるという点では凄く宗教的だが、私は夢と同じという点で凄く納得がいった。
以前にも触れたが、私は夢と外界の違いは曖昧だと思っていたから、その後の唯識の講義で同じ説明があって驚いた。
夢は目覚めない限り、どんな突飛な夢でも、その時点では夢だと思わないのと同じで、今生きている世界がバーチャルではないとは言い切れない。
テキストそのまま引用させてもらえば「感覚器官による認識は、夢の中のようにして起こっているのである」さらに「感覚器官による認識が生じている時には、その対象を知覚することは出来ない、従ってその対象が感覚器官によって知覚されているということは確認出来ない」という。
凄く説得力があって「なるほど!」と思える。
この唯識の発想は、永遠に変わらないものはないという「諸行無常」の思想にも繋がって、なかなか面白い。
こんなことを書くと、私を知ってる人は、私が仏教にハマって危ないと思うかもしれませんが、そんなことはないので、ご心配なく (笑)
こんな素晴らしい景色も、観た気になっているだけで、実はバーチャル・・・?